日記

日記

日記

分かっちゃいるけど

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もう戻らない過去の景色や思い出のことばかり考えてる。

うまく立ち回れなかった(立ち回らなかった)自分を責め、

自分の発言や思考回路を悔やみ、

あれが最後だと知っていたら、あの日をやりなおせたら、もう一度チャンスが欲しい、

という思いが頭をぐるぐるする。

過去を諦めるって難しい。

でもこの身体と、この世界とさよならする日が来たらきっと、

どうして今自分の目で見ることのできる景色、

今自分の耳で聞くことのできる音、

今自分の鼻で嗅ぐことのできるにおい、

今自分が食べているごはんの味、

今自分の言葉で伝えることのできる思い、

今自分の身体で触れられるあらゆるもの、

なんでそういうものを大切にしなかったんだろう。

いつかは死んで、その全てができなくなるって分かっているのに、

何で、ないものばかりに囚われていたんだろうって、絶対に後悔する。

何で、自分のことをあんなに責めてばかりいたんだろうって。

何で、自分のことを愛してあげなかったんだろうって。

そう思うのに、明日死ぬと思いながら生きられない。

今日も過去を悔やみ、未来の心配ばかりしてしまう。

もう一度チャンスが欲しい、そしたら、あの時にはできなかった、違う未来にできるかもしれないのに。

1枚の絵

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絵を見た。

優しい色鉛筆のタッチで繊細な美しい絵。

中央には花があって、その花を守るようにオレンジの傘が開いている。

「花が自分で、傘が担任の先生です。ずっと悩んでいたことがあったけど、担任の先生に救われたからこの絵を描こうと思いました。・・・」

という言葉が絵に添えられていた。

なんとかその場ではこらえたけど、その後しばらく涙があふれて止まらなかった。

こんな美しい絵に私が登場したという嬉しさと恥ずかしさと、

自分の心の揺れを1枚の絵に表現したその子の心の美しさへの感動と羨ましさと、

そう感じてくれていたその子に対して私は真摯に向き合えているんだろうかという気持ちと、

その子が、私を、花を守る「傘」として描いてくれたから、私が誰かにとって何か意味をなすものになれたのかもしれないという驚きと感動と、、、

もう、言葉にすることのできないくらい、本当に多くの感情があふれた。

 

その子が自身の葛藤を伝えてくれたとき、私がその子にかけた言葉も思い出した。

「自分のことを全て正直に言わないとダメなわけじゃないよ。言わないからといって嘘をついているわけじゃない。親にだって、友達にだって、言いたいと思った時に、言いたいと思った人に、言えばいい。それは自分で選べばいいんだよ。」

「今はその苦しみが永遠に続くと思うかもしれないけど、そのままのあなたを大好きになって愛してくれる人に必ず出会う。だから絶対大丈夫。」

 

私がその子にかけた言葉たちは、自分が誰かにかけてほしかった言葉だったんだと気づいたら、なんだかそれも泣けてきて、そのまま自分にその言葉をかけてあげたら、心に安心感が広がった。そしたらまた泣けた。

 

私は誰かに何かを差し出せるわけでもなく、頑張ろうと思ってもうまくいかないことばかりで、というかそもそもあんまり頑張ってもいなくて、小さなことでメソメソするくせに肝心なところで他力本願で、でも同じことをぐるぐる悩むわりにやっぱり他力本願で、もう、何をやっても本当に空っぽで、その穴はこんなことで埋められたらいいのにって思うのにちっとも埋められなくて、っていうか、「こんなことで埋められたらいいのに」って思っていることはそもそもこの世に存在しない気もしてて、だから私は一生それを手に入れることができない気もしてて、っていうそんな空虚な気持ちを抱えながら、今日、この先、どうやって生きていけばいいんだろうって、ずーーーっと思ってた。

でも、その絵を見て、多くの感情があふれて、心が揺れたその時に、心がうねるのを感じた。そしてそのうねりが、私が、ずーーーっと思っていた悲しさを押し流して、空っぽの穴を少し埋めてくれた気がした。それが一瞬だったとしても、そう感じた。

 

その絵の題は「ありがとう」だった。

「こちらこそありがとう」だとなんだか足りなくて、ふと、

「その感動やその時の気持ちをどう伝えるか、それは、自分が変わってゆくことだ。」

って言葉を思い出した。

 

新しい自分になる。

みんな、私も、

自分の感じたように、生きられるはず。

 

お香いいにおい 呼吸が深くなる

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ゆらゆら揺れる煙を見ている

煙って変なの

でも優しくて癒される

お香いいにおい

もっとかぎたくて呼吸が深くなる

 

考えごとをしていると

心臓がギュッて縮まって熱くなる

これは快か不快か

不快ではないけど

快でもない

 

ない方が呼吸がしやすくて

自分らしくいられる気がする

 

心臓があんまり熱くなると

その熱で

次は涙が出る

心が燃えて

煙じゃなくて、涙が、

熱い涙が出て

その涙で心臓が冷えて元に戻る

それが、今私が感じていること

わくわくする方を選べ

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人生で迷ったら、「わくわくする方を選べ」

とかよく聞く。

そういうのを読むたびに、

「分かった、分かった。でもわくわくすることがそもそもないんだよね」って感じで思ってた。

 

でも今日、久しぶりにわくわくする未来を見た。

友達が、

「思い切って人生の舵を切ることにした。シンガポールへの留学を考えてる。」

って教えてくれた。

 

今の仕事、嫌いとかじゃない。向いてると思う。がんばってると思う。

けど、疲れちゃった。

がんばろうっていう熱い気持ちの火が消えかけている。

定年までこの仕事をするなら、あと30年くらいやるわけで、そこそこの楽しさはあるけど、ある程度の予定調和の中での30年って思ったら、気持ちがどんよりするのを感じた。もう、がんばれないかもしれない。

 

でも、どうだろう。

もし私も、シンガポールに留学するってなったら。

もし私が、イラストレーターになるってなったら。

もし私が、女優になるってなったら。

もし私が、ギター片手に歌手になるってなったら。

もし私が、エッセイストになるってなったら。

きっと住む場所も、日々の中で会う人も、毎日のルーティンも、もちろん仕事も変わって、想像できない毎日が始まる。まるで新しい人生が始まるかのように。

そんなことを想像したら、わくわくして、ドキドキして、

でも今の生活との別れも悲しくて、想像するだけで涙が出そうになって、

でもやっぱり、わくわくした。

 

さて。さて。さて。

2020年のふりかえり 2021年の抱負

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2020年の抱負をふりかえる。

・本をたくさん読む リチルに行きたい

→△本はあんまり。積ん読。リチルにはけっこう行った。

・英語をもっと勉強する

→×全然やらなかった。

・体重-7キロ

→◎まさかの達成。正直コレが一番無理だと思っていた。

・海外移住

→×移住どころか旅行さえ行けなかった。

・自分のことをもっと知って、まるっと受け入れる お気に入りの自分になる

→△好きな人を通して自分のことをよく考えた。嫌な自分やダメな自分を見せつけられた。なんとかしたくて、変わりたくて、原因を見つけたくて、友達や、占いやセラピーや宇宙や神様やいろんなことに救いを求めた。前より少しだけ自分のことを知れた気がする。

 

2020年

春の静けさ、空気がキレイだったこと、恋をしてワクワクしたこと、海の波音

夏の暑さ、短い夏休み、セミの音、不安で苦しくて自分で自分を追いつめたこと

秋の奈良、後悔

そして冬、今も、2021年になってもまだ秋の後悔をなんだか引きずっている。

最近はたまに暖かい日があると春の予感がして、昨年の希望に満ちた春の空気を思い出して胸が苦しくなる。

ずっと冬で、ずっと自粛で、ずっと静かだったらいいのに。

あの夏と秋(と今)の苦しさがなかったら今の自分はいないし、今の自分と繋がっている縁のいくつかはなかったかもしれない。

でもたとえそうだとしても、今の自分で、もう一度、2020年を過ごせたらって思う。

けど、今の自分じゃまた同じ2020年かもしれない。

2020年は、ずいぶんいろんな人に助けてもらった。

 

2021年の抱負

・このままの自分を信じたい。自分に自信をもちたい。

昨年の「自分のことを知る」のはまだ途中。「自分をまるっと受け入れる」って書いたけど、その本当の意味に最近気づき始めている気がする。「お気に入りの自分になる」っていうのはきっと「自分をまるっと受け入れる」とか「このままの自分で大丈夫」って思えることで、今の自分を作っている全てのもの(心、身体、顔、思考、感情、親、ルーツ、、、)を、良い悪いとかじゃなくて、ダメダメなところも、受け入れ難いところも、赦して信じられることなのかなって思う。

おでこ全開姿で顔テカりながらブログを書いている今の自分も、長ったらしいこの文章も、「全部、いいじゃん!」って自分で思ってあげたい。人に求めないで、自分で思ってあげたい。

 

・今までの自分なら選ばなさそうなことを選ぶ。

例えば服とか。読む本とか映画とか。関わる人とか。思い込みで似合わないとかダメとかムリとか下らないって思ってたことも選んでみたい。

 

・瞑想を習慣に

・自分の感情に気づいてそのまま受け入れる

・英語の勉強

・「得意料理」をつくる

・ギターでin my life、moon river、ハルノヒ

 

このブログを書くまで、2021年どんな抱負にしようかとずいぶん考えた。

うまくまとめれたような、まだ不十分なような。

 

深夜のつぶやきのメモ2011

眠りにつくほんの少し前に夢を

植物たちはおだやかにただそこにいる

飛行機でそれに近い感覚をつかみそうになるけど

完全なデートのために服を 完全な別れを

誰かが万華鏡を

あんたのことを諦めるなんて

あんたのためならどんだけでも

かけらを拾ったり探したりたくさん集めておく うまくつながるかなんて  うまくいくかなんてわからないけど うまく とおく  と  いい それが近いならなお

よく晴れた休日 とびきりのビーチ 誰もいらないけどゆきずりの 奇妙な男が前に 万華鏡

なんかわかっちゃったかもしれない

 

2011.5.22 深夜のつぶやきのメモ

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いったいどんなシチュエーションでこの文章(詩?)を書いたのか全く覚えてないけど、ふと発見して、なんだか面白かったのでブログに載せてみる。

最近音楽を聞きながら運転するのが楽しい。

そして最近よく転ぶ。今日も転んで痛かった。

 

That’s great! Whatever you need Noriko.

クリスマスの思い出

※サンタクロースについて言及しています。私のサンタクロースについての見解を知りたくない人は読まないでください。(特に子どもたち)

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先日同僚とラーメン屋でクリスマスプレゼントについての話で盛り上がった。

サンタさん宛の手紙。希望のプレゼントが置いてあった時の喜びや、まったく別の物が置いてあった時の落胆。兄弟姉妹で協力して1つの高価なプレゼントをもらえたこと。

家庭によってディテールが異なり、大いに盛り上がった。

 

ただ、サンタさんからのプレゼント、というと胸がギュッとなる苦い思い出もある。

サンタプレゼント期間の終盤(何歳ごろだったかな)になると私は、「空飛ぶ魔法のほうきが欲しい」とか「空飛ぶ魔法のじゅんたんが欲しい」とか、サンタの力を試すような無理難題を所望するようになった。手紙も当日まで極秘に書く。

となると、25日の朝にはもちろん希望のプレゼントは置いてない。まぁでも、子どもながらに気をつかって「ふぅん」とやり過ごしていた。しかしある年の12月25日の朝、置いてあるプレゼントを見た私は、「いらない、こんなの!」と思いが爆発し、それを母にぶつけてしまった。母はなんとなく悲しそうだった。そしてその年を境に、サンタさんからのプレゼントが届くことはなかった。

 

たまにこのことを思い出しては、胸がギュッとなる。

そしてラーメン屋の数日後、このことを思い切って母に話してみた。

思い出や記憶って本当に不思議だなと思う。

母はこの「いらない、こんなの!」については全く覚えていなかった。

母のクリスマスの思い出は、私たち姉妹が所望したプレゼントが見つからなくておもちゃ屋を何軒もまわったこと。広告の裏紙を使って、サンタさんへの手紙の書き方を幼い娘たちに教えながら一緒に書いたこと。親しか貰えないサンタさんへの手紙をずっと大切にとってあること。

そんな思い出だった。

そんなことを話しながら母の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えたし、私も思わず泣きそうになった。その涙も私の記憶違いかもしれないけど。

ここ数年は「家族」という言葉が耳や心に入ると鉛のように重い何かが心にズシッとぶら下がるような苦い気持ちなる。今の私を作っているものは、変えられない運命や、普通じゃないいびつな何か、苦い記憶など、寒々しいものばかりだと思っていた。けどそれは私の、たったここ数年の思い込みが作ったフィルターと凝り固まりつつある価値観を通して、自分で作り出したものだったのかもしれない。

通り過ぎる景色のどこを見てどこを覚えているかは人によって違う。両親は器用ではなかったけど娘たちへの愛がそこにはあって、そしてその不器用さが大人になった自分にもあって、そう思うとクリスマスの思い出も、不器用な両親も自分自身も許し、愛せる気がした。

正直、サンタさんからどんなクリスマスプレゼントを貰ったのか、あまり覚えていない。ただ、12月25日の朝、起きたときに、枕元にプレゼントが置いてあって、それを見つけた時の、もう味わうことのできないあの胸の高鳴りは今でも覚えている。

 

同僚と行ったラーメン屋の帰り道、久しぶりにひどい腹痛に襲われて本当につらかった。

けどその腹痛と引き換えに、大切なことに気づけた。

世界を作るのは自分で、これ以上その自分を固まらせたくない。

 

I have a bad memory on Christmas day. I think I did an aweful thing to my mom about a Christmas present.

A few days ago, I apologized it. But she didn't remember that at all. She remembers some wonderful ones instead.

Even we share the same time, we would have different memories from our own point of views.

Recently I feel I wear boring/ weird/ not exciting glasses and I see a boring/ weird/ not exciting world through them.

I want to see an exciting world more, really.