日記

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1枚の絵

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絵を見た。

優しい色鉛筆のタッチで繊細な美しい絵。

中央には花があって、その花を守るようにオレンジの傘が開いている。

「花が自分で、傘が担任の先生です。ずっと悩んでいたことがあったけど、担任の先生に救われたからこの絵を描こうと思いました。・・・」

という言葉が絵に添えられていた。

なんとかその場ではこらえたけど、その後しばらく涙があふれて止まらなかった。

こんな美しい絵に私が登場したという嬉しさと恥ずかしさと、

自分の心の揺れを1枚の絵に表現したその子の心の美しさへの感動と羨ましさと、

そう感じてくれていたその子に対して私は真摯に向き合えているんだろうかという気持ちと、

その子が、私を、花を守る「傘」として描いてくれたから、私が誰かにとって何か意味をなすものになれたのかもしれないという驚きと感動と、、、

もう、言葉にすることのできないくらい、本当に多くの感情があふれた。

 

その子が自身の葛藤を伝えてくれたとき、私がその子にかけた言葉も思い出した。

「自分のことを全て正直に言わないとダメなわけじゃないよ。言わないからといって嘘をついているわけじゃない。親にだって、友達にだって、言いたいと思った時に、言いたいと思った人に、言えばいい。それは自分で選べばいいんだよ。」

「今はその苦しみが永遠に続くと思うかもしれないけど、そのままのあなたを大好きになって愛してくれる人に必ず出会う。だから絶対大丈夫。」

 

私がその子にかけた言葉たちは、自分が誰かにかけてほしかった言葉だったんだと気づいたら、なんだかそれも泣けてきて、そのまま自分にその言葉をかけてあげたら、心に安心感が広がった。そしたらまた泣けた。

 

私は誰かに何かを差し出せるわけでもなく、頑張ろうと思ってもうまくいかないことばかりで、というかそもそもあんまり頑張ってもいなくて、小さなことでメソメソするくせに肝心なところで他力本願で、でも同じことをぐるぐる悩むわりにやっぱり他力本願で、もう、何をやっても本当に空っぽで、その穴はこんなことで埋められたらいいのにって思うのにちっとも埋められなくて、っていうか、「こんなことで埋められたらいいのに」って思っていることはそもそもこの世に存在しない気もしてて、だから私は一生それを手に入れることができない気もしてて、っていうそんな空虚な気持ちを抱えながら、今日、この先、どうやって生きていけばいいんだろうって、ずーーーっと思ってた。

でも、その絵を見て、多くの感情があふれて、心が揺れたその時に、心がうねるのを感じた。そしてそのうねりが、私が、ずーーーっと思っていた悲しさを押し流して、空っぽの穴を少し埋めてくれた気がした。それが一瞬だったとしても、そう感じた。

 

その絵の題は「ありがとう」だった。

「こちらこそありがとう」だとなんだか足りなくて、ふと、

「その感動やその時の気持ちをどう伝えるか、それは、自分が変わってゆくことだ。」

って言葉を思い出した。

 

新しい自分になる。

みんな、私も、

自分の感じたように、生きられるはず。