日記

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クリスマスの思い出

※サンタクロースについて言及しています。私のサンタクロースについての見解を知りたくない人は読まないでください。(特に子どもたち)

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先日同僚とラーメン屋でクリスマスプレゼントについての話で盛り上がった。

サンタさん宛の手紙。希望のプレゼントが置いてあった時の喜びや、まったく別の物が置いてあった時の落胆。兄弟姉妹で協力して1つの高価なプレゼントをもらえたこと。

家庭によってディテールが異なり、大いに盛り上がった。

 

ただ、サンタさんからのプレゼント、というと胸がギュッとなる苦い思い出もある。

サンタプレゼント期間の終盤(何歳ごろだったかな)になると私は、「空飛ぶ魔法のほうきが欲しい」とか「空飛ぶ魔法のじゅんたんが欲しい」とか、サンタの力を試すような無理難題を所望するようになった。手紙も当日まで極秘に書く。

となると、25日の朝にはもちろん希望のプレゼントは置いてない。まぁでも、子どもながらに気をつかって「ふぅん」とやり過ごしていた。しかしある年の12月25日の朝、置いてあるプレゼントを見た私は、「いらない、こんなの!」と思いが爆発し、それを母にぶつけてしまった。母はなんとなく悲しそうだった。そしてその年を境に、サンタさんからのプレゼントが届くことはなかった。

 

たまにこのことを思い出しては、胸がギュッとなる。

そしてラーメン屋の数日後、このことを思い切って母に話してみた。

思い出や記憶って本当に不思議だなと思う。

母はこの「いらない、こんなの!」については全く覚えていなかった。

母のクリスマスの思い出は、私たち姉妹が所望したプレゼントが見つからなくておもちゃ屋を何軒もまわったこと。広告の裏紙を使って、サンタさんへの手紙の書き方を幼い娘たちに教えながら一緒に書いたこと。親しか貰えないサンタさんへの手紙をずっと大切にとってあること。

そんな思い出だった。

そんなことを話しながら母の目にはうっすらと涙が浮かんでいるように見えたし、私も思わず泣きそうになった。その涙も私の記憶違いかもしれないけど。

ここ数年は「家族」という言葉が耳や心に入ると鉛のように重い何かが心にズシッとぶら下がるような苦い気持ちなる。今の私を作っているものは、変えられない運命や、普通じゃないいびつな何か、苦い記憶など、寒々しいものばかりだと思っていた。けどそれは私の、たったここ数年の思い込みが作ったフィルターと凝り固まりつつある価値観を通して、自分で作り出したものだったのかもしれない。

通り過ぎる景色のどこを見てどこを覚えているかは人によって違う。両親は器用ではなかったけど娘たちへの愛がそこにはあって、そしてその不器用さが大人になった自分にもあって、そう思うとクリスマスの思い出も、不器用な両親も自分自身も許し、愛せる気がした。

正直、サンタさんからどんなクリスマスプレゼントを貰ったのか、あまり覚えていない。ただ、12月25日の朝、起きたときに、枕元にプレゼントが置いてあって、それを見つけた時の、もう味わうことのできないあの胸の高鳴りは今でも覚えている。

 

同僚と行ったラーメン屋の帰り道、久しぶりにひどい腹痛に襲われて本当につらかった。

けどその腹痛と引き換えに、大切なことに気づけた。

世界を作るのは自分で、これ以上その自分を固まらせたくない。

 

I have a bad memory on Christmas day. I think I did an aweful thing to my mom about a Christmas present.

A few days ago, I apologized it. But she didn't remember that at all. She remembers some wonderful ones instead.

Even we share the same time, we would have different memories from our own point of views.

Recently I feel I wear boring/ weird/ not exciting glasses and I see a boring/ weird/ not exciting world through them.

I want to see an exciting world more, really.